2015夏、県立伊丹・合同合宿レポート
チームの成長を感じた2日間
“お芝居をつくる”
言葉にすれば簡単なこと。ただし、中身は千差万別。良いお芝居をつくる演劇部は、良いチームが出来ている。チームが先か、お芝居が先か、演劇部を運営するものにとっては、まさにコロンブスの卵のような命題。しかし、個人的には、良いお芝居をつくるなかで良いチームは育まれ、良いチームをつくる課程で良いお芝居は生まれるような気がする。つまり、この二つは正のスパイラルで結ばれている。
さて今回は、演劇部サイトリニューアルの第一弾として、県立伊丹の合宿の様子をお届けする。
この合宿で感じたのは、まさにそのチームの成長だったりする。
ここでチームづくりのキーマンとなる、五ノ井先生について軽く紹介しておこう。
五ノ井先生は、尼北時代に全国大会ベスト4、伊丹西時代に怒濤の3年連続近畿大会出場そして春期全国大会出場という記録を持つ。新天地県立伊丹では昨年、演劇部を17年ぶりの県大会へ導いた。いま、兵庫県下で最も注目される顧問の先生のひとり。
五ノ井先生は、──誤解を恐れずに書くならば──ひとつひとつの作品づくりよりも、チームづくりに重きを置いている。
特に伊丹西時代の中盤以降、生徒創作台本での作品づくりがメインになって、より際立ってきたように感じる。良きチームの中で良き作品を育む。生徒創作台本を五ノ井先生が潤色で昇華するプロセスは、お互いに尊敬・信頼していなければ成り立たない。
この合宿も、五ノ井先生率いる演劇部にとっては、夏の恒例行事のひとつ。尼北の時代、伊丹西の時代、そして県立伊丹の時代へと脈々と続いている。
それは、例年、いくつかの演劇部で合同という形で行われている。今年は奇しくも県立伊丹と伊丹西という2つのチームでの合同合宿となった。
五ノ井先生が伊丹西から県立伊丹へ移って3年目。
かつて五ノ井先生が育てたチームと、いままさに育てているチームは、それぞれ違ったチームの姿を見せ始めていた。
時は2015年8月上旬。
場所は淡路島の北端にあるアソンブレホールなのである。
まさかの定式物検定
合宿が夏の恒例行事ということは、そこで何をするのかというのも決まっている。
合宿の主な目的は、その年の『平成演劇教育委員会』対策だ。
平成演劇教育委員会は、兵庫県高等学校演劇研究会阪神支部の主催するワークショップ。「演技・演出技能検定」と「裏方技能検定」という2つのテーマを毎年交互に行っている。講習の項目ごとに検定として級が認定されるのが面白いところ。自分たちのレベルがどのくらいで、何を努力するべきかというのが数値化されている。
平成演劇教育委員会も進化を続けており、近年は“演劇部が演劇をするためには何が必要か?”というようなことを自分たちで考えて発表するワークショップになっている。つまり、ワークショップその日よりも、その日までのプロセスが大事になってくる。加えて、発表に対して講師の先生たちが有効性を確認し、アドバイスした上で級が認定される。それはそっくりそのまま、次の作品づくりに対するチームの素地になるだろう。
平成演劇教育委員会への取り組みの姿勢、くみ取る姿勢が、秋のコンクールへそのまま直結する。
さて、今年の平成演劇教育委員会は、「演技・演出技能検定」がテーマ。
今回の合宿では「ブラックボーダーズ検定」や「ダンス士検定」の対策──のハズだったのだが。
合宿初日、県立伊丹・伊丹西の合同でホール機構や定式物などについて軽くレクチャーを受けたのち(おそらく1年生にとっては初めてのホール体験なのだ)、突然それはやって来た。
せっかくホールへ来たのだから、と五ノ井先生が取り出したのは、「定式物検定」の検定問題。
ここで少し説明。
「定式物」というのは、ホールに常設されている大道具のことで、ここでは平台や箱馬、開き足(高足)を指す。「定式物検定」はその定式物を使った検定で、図面通りに平台を組むことが要求される。3級は高さなしの平台ベタ置きなのだが、2級になると高さ指定があり、その高さに合った箱馬や開き足を選択し組み立てなければならず、一気に難易度が上がる。もちろん、本来は役者が演技をする空間を組み立てる物なので、その安全性も検定内容のひとつ。つまり、「裏方技能検定」の課題なのだ。
昨年はここでみっちりやった定式物検定対策。けれど、今年はどちらのチームもおそらく何の準備もしていなかったはず。完全な不意打ち。
しかし、ここで見せつけられたのは、明らかなチームの成長だった。
重要なリーダーの存在
裏方の仕事は、時間と関わることも多い。時間をどう掴むかが鍵、と言ってもいい。
定式物検定は、限られた時間内で行えるか、ということも検定要素になっている。つまりは、限られた時間内での仕込みといったわけだ。
昨年の合宿では、定式物検定対策で両チームとも、時間を掴めていたとは言い難い。グダグダになってしまった感は否めない。
5人1組という人数も絶妙な人数設定なのだけど、5人が5人とも同じ仕事をしてしまっては時間がなくなってしまう。それが、苦戦した主な要因だった。
ところが、である。(だから、かもしれない。)
まず目についたのは、リーダーの存在。
5人のうち1人がリーダーとなり、指揮官に徹する。つまり、作業は他の4人に任せ、リーダーが全体を見渡せる場から、各々に的確に指示を出していた。
リーダーが指揮官に徹することで、作業効率が上がる。どうしても人手が足らないと、リーダーも作業に手を貸してしまいがちになるのだが、そこは敢えて心を鬼にして手を出さないことが、結果的には早く上手くいく。作業を一緒に手伝ってしまうと、状況判断ができなくなる。それが昨年苦戦した一因だった。
もちろん1年生は平台や箱馬を触るのは、初めてのはずなのだ。
それでもリーダーが的確に指示を出すことによって、迷いなく1年生も動けていた。
私が舌を巻いたのは、2年生が昨年の検定を覚えていたことだ。つまり、演劇部に必要な技能として、それを習得していた。そのモチベーションの高さだ。
定式物の技術や知識は、演劇を行う上で必須ではない。定式物を使わない作品づくりも多々あるからだ。3年間、まったく接しない演劇部も珍しくないだろう。
だから、講習で教えたり作品づくりの中で使ったりしても、その場限りのものになってしまい、終われば忘れてしまうことが結構ある。私は後輩たちを通じてそれを肌に感じていたし、淡路支部全体を見回しても同じことだろう。日常的に使わないことは、その都度、教えなくてはならなくなっている。
(今)使わないこと、というのは、不要なものに思えてしまうのかも知れないが、実はそうではない。使うかも知れないこともちゃんと習得しておくことで、自分たちの幅は確実に広がっていく。使うことがなくても、その先への可能性は広がる。
それはやはり、チームとしての素地が出来ているかどうかの差なのだろう。
たまご班へ密着
今年の検定のひとつに「ブラックボーダーズ検定」がある。
「ブラックボーダーズ検定」は、暗転からはじまり暗転で終わるという規定がある制限時間2分の寸劇を検定する。たった2分と言っても侮れない。参加チームの多くは精一杯の創作劇を発表する。それはもう、立派なお芝居だ。
県立伊丹は、ふーみん班とたまご班の2つに別れ、それぞれに作品づくりを行っていた。
私はたまご班へ密着した。
会議室へ到着するなり、少しの時間も惜しいとばかりに、たまごの号令。稽古をはじめる前に、ストレッチと発声練習。どちらもいま必要なことを最低限で。いくら時間がなくても基礎練習は欠かせない。演技ができる身体と、声の準備をしておかないと。
最後に台本の変更点のチェック。大丈夫。役者にセリフは入っている。
たまご班は、演出のたまご以下、照明きゅーちゃん、音響ことのん、役者ラテ、まの、しーなの計6人。
「よーい、はいっ!」
たまごの手を叩く合図で、稽古がはじまった。
本来は役者で演出は初めてだというたまごだが、役者に対して“どうして欲しいか”ということをテキパキと伝えていく。自分が演出としてどう見せたいか、ということがハッキリしている。違うなと思うところはすぐに演技を止めて、ダメ出し。小返ししていく。
五ノ井先生がいなくても、稽古場は動いていく。
いまここにある熱量は、本気の芝居づくりの熱量そのもの。何も知らない人が見たら、とてもワークショップ発表のための寸劇とは決して思うまい。
しかし、である。
演劇は、総合芸術であり、集団(チーム)での作業なのだ。目的はなんであれ、作品づくりにおいてその場が熱を帯びないことなんてあり得ない。良いモノをつくろうという想いが強ければ強いほど、熱量も上がってくる。その熱量こそが、ひとりでは不可能なことを、チームで可能にしていく。
春のアイフェスで『空に溶けて』を観た時に、私は“今度は本気で近畿を狙う気だ”と感じた。
チームはスパイラルの中を急速上昇している。
演技を動かす
ラテとまのが2年生で、しーなは1年生。
しーなの出番がやって来て、すぐに気付いた。明らかにしーなの演技が弱い。2人の演劇人に、1人の一般人が混じっている感じだろうか。
秋。コンクールの舞台では、様々な演劇部が並ぶ。その落差はかなり激しい。その上、底辺の演劇部は、上位に食い込む演劇部を特別視している節もある。“自分たちとは違う”、と。
結論から言うと、強豪校の演劇部員も弱小校の演劇部員も何も違わない。みんな一介の高校生である。演劇部での成長が、“自分たちとは違う”と思わせるだけなのだ。
実際しーなも、どこの演劇部にいてもおかしくない、1年生部員だ。演じることよりも、まだまだ恥じらいや戸惑いが勝っていて、声も小さい。
現時点では3人のアンサンブルは取れていない。
アンサンブルをとるためには、しーなに合わせて、ラテ、まののレベルを下げるという手もあるのだけれど、それはしない。そうしてしまうとしーなが成長しないばかりか、チームまでが下がってしまう。かと言って、たまごをはじめとして誰一人、有効的な手段は見つけられていないようだった。
しーなが成長してくるのを、温かく見守っている感じだろうか。
たまご班の稽古場に現れた五ノ井先生は、そんなしーなにもメスを入れはじめた。
「えー!」と驚いて、舞台前面に移動する。そんなひとつの演技。
「まっすぐ前を向いたまま」
「出てくる時に(次の)セリフを言いながら出てきて」
素早い小返し。止める度、矢継ぎ早に五ノ井先生から短い注文が飛び出す。短いがしかし、熱を帯びた注文。
その注文に応えるしーなの演技が、その度に強くなっていく。そして、声も大きくなってくる。どちらももしかしたら、本人は意識していないのかも知れない。スピード感で熱量を上げていく、五ノ井先生の巧みな技。決してできないことは注文せず、できることを少しずつ足していったのだった。
1分にも満たないわずかな時間。弱々しかったしーなの姿は消えた。
それはこの演技に限ったことなのだが、こうしたことの積み重ねで、知らず知らずに自信をつけていくのかも知れない。
チームも個人も成長途中
作品をつくるに当たって、五ノ井先生は万能の神ではない。
実際、たまご班の演出はたまごであるし、演劇はチーム全員でつくるものだからだ。ひとりの力よりみんなの力が、よりお芝居の幅を深めていく。
「セクシーとはなんだろう?みんなの叡智を結集する」
行き詰まったのは、しーなのセクシーな演技。何がセクシーなのか。女子ばかり6人というチームだが、なかなかアイデアが出ない。ブレイクスルーが見つからない。
「誰が見ても納得する、ちっちゃなものってあるはずや。そういうことに気付こう」
五ノ井先生の言葉に、場が静まりかえる。みな真剣に探す様子がひしひしと伝わってくる。しかし、真剣になればなるほど、言葉数は少なくなっていった。
これがいまの県立伊丹の弱点のひとつ。逆に言えばチームが完熟していないところ。
他人に意見を求められた時、どう答えていいかわからず黙りこくってしまう。そんな経験は高校生なら誰しもあるのではないだろうか。自分の中で「何か」はあるのだけれど、それを言っていいのか悪いのかの迷い。つまり、アイデアがないわけでは決してない。
誰かが「何か」を発し、その「何か」(例え見当違いであったとしても)を元にチームでアイデアに昇華する。それが、理想の流れのような気がする。
言い換えれば「何か」への「気付き」が求められている。
しかし、時間の限られた合宿。結局、五ノ井先生のアイデアを元に演じてみる。が、しーなは上手く決まらない。
その流れでしーなの代わりに、ラテが半ばお遊びで演じる。それをたまごが「パンテーン(シャンプー)のCMみたい」と評した。「パンテーンのCMどんなん?」と、食いつく五ノ井先生。一通り説明を聞き、「しーなできる?」と。これがブレイクスルーになった。稽古場が動き始めた。
見返りで、髪の毛がぶわっとなる練習。
しばらく繰り返したのち、「今から髪の毛で遊んでみて。どんなことができるか。その髪の毛で」と五ノ井先生。「え。遊ぶ?」困るしーな。
演劇で「遊ぶ」ということは、もしかしたら最初にぶち当たるハードルかも知れない。演出に「遊んで」と言われても、1年生は何をやって良いかわからない。混乱というのが、実際のところだろう。だけど演出は、役者が自由にどんなことができるのか、見たいのだ。自分にはない何かを見極めるため。
それでも遊べないしーなは、五ノ井先生に良いように遊ばれる。その中で不意に納得の瞬間がやってくる。それだ!全員の意見が一致した。
この「それだ!」が気付きの瞬間なのだろう。
「気付く」ことは、演劇の最中に鍛えるものではないと個人的には思う。日常生活でどれだけいろんなことに「気付け」るか。それは毎日をどうアンテナを張って過ごすかに関わってくるだろう。
日常生活の視点を変えてみれば、いろんな発見がそこに転がっているはずなのだ。
OBたちの存在
今回の合宿には、東京から駆けつけた式部先輩をはじめとする3人のOBが正式なメンバーとして参加していた。この3人はいずれも伊丹西のOB。五ノ井先生、伊丹西時代の相棒たちだ。
ホールには舞台機構をはじめ、音響や照明などといった設備がある。県立伊丹と伊丹西、2人の顧問の先生だけではどうしても手が足りない。合宿をより充実させるために、OBたちの力もまた必要なのだ。
そして興味深いことは、毎年多くのOBたちが自主的に駆けつけることだ。
今年は正式メンバーとしている式部先輩も、それまでは自主的に東京から駆けつけていた。
演劇とは、決して単独では成り立たない。人と人との関係性で成り立ってくる。それはチーム内もそうだし、チーム外に向かってもそう。ひとつの公演をするにあたっても、外部のスタッフの協力はもちろんのこと、観客に来てもらわねば意味はない。そういう意味では観客も役者のひとりと考えられるかも知れない。
この内外に向かっての関係性が、上手く構築出来るか否かで作品の質が大きく変わってくる。
自分たちの世界だけでなく、より広い視野を持つことで演劇が断然楽しくなってくる。
先輩たちは後輩たちの動向が気になるし、協力出来ることがあればという想いはある。そして、実際に現役生の稽古場に足を運ぶことで、外部の風を運んでくる。
自主的に駆けつけるOBたちというのは、その時代その時代で良いチームをつくり、良い演劇をしていたのだろうと勝手に想像する。
そうやって何の損得勘定もなしに多くのOBが集まることは、純粋に羨ましい。そして、私の最も見習いたいところ。
その点でいま面白いのは、伊丹西だ。
顧問の先生が替わり、新しい風が吹き始めている。昨年度は、生徒創作作品をOBが潤色し上演するというスタイルの作品もつくっていた。伊丹市の中高演劇部が一同するアイ・フェスで、そのOBが関西演劇人の講評を真剣に聞き入っていた姿は印象的だった。
積極的にOBたちが関わり、新しいチームをつくりだそうとしている。
そんな演劇部はおそらく多くないであろうが、ひとつの理想的な姿のように思う。
この合宿でもOBたちが、練習に対して意見を出し合っていた。そして、それを自分たちに取り込もうとしている伊丹西チーム。
OB、つまり自分たちの先輩というのは、特殊な存在だ。
完全に外部の人たちであれば、どんなに演劇的に専門性を有していてもチームは身構えてしまう。ところが、OBというだけで、難なくその中に溶け込めてしまうのだ。
模擬検定
合宿のハイライトは、2日目に行われる『平成演劇教育委員会』の模擬検定だ。
その様子は知らないものが見ると、カルチャーショックを受けるかも知れない。
観客席には、OBたちと、六甲学院(中学・高校)と県立御影の演劇部。県立伊丹・伊丹西チームと入れ替わりに、ここアソンブレホールで合宿を行うのだ。ちなみに六甲・県立御影チームは、まったく違ったメニューで合宿をこなす。
審査講評は、式部先輩。
体裁も本格的であれば、発表される内容もレベルが高い。
「ブラックボーダーズ検定は立派なお芝居」と書いたが、本当にそうなのだ。他のワークショップなどでよく見る寸劇とは違う。観客を作品に集中させるだけのものが出来上がっている。十人十色の解釈がある世界。
上演は、県立伊丹ふーみん班、伊丹西、県立伊丹たまご班の順番。いずれもオリジナル作品だ。
音響・照明のスタッフは、それぞれ音響室、調光室へ。キャストは舞台袖へ配置につき、演出は客席から鋭い視線を注ぐ。
客電が落ち、五ノ井先生によるアナウンスがあり、各班の上演開始。
そして、上演が終わるごとに、式部先輩の講評。加えて五ノ井先生と、求められた六甲や御影の先生たちも講評に混じる。講評の内容は、結構容赦ない。コンクールでもここまで言われることは、あまりないかも知れない。しかし、キャストは舞台上から熱い眼差しを向け、演出は台本片手にメモをとる。
それが上演の数だけ繰り返された。
2分という制約は大きいはずなのだが、その中で最大限に観客へ何かを伝えようとする作品づくり。その姿勢。上演した3つに共通するのは、それだ。
だからこそ、惜しい点が目につく。
コンクールでは60分という時間制限があるが、それが2分にギュッと凝縮されると、場所や関係性などの基本情報もサッと伝えなくてはならない。それよりも難しいのは、観客への問題提起だ。観客の心へ何を残したいか。その鍵の提示が弱かったのではないか。演技よりも演出的なところが気に掛かる。
2分という制約だから、単純に観て面白いものでもいいのだろうけど、この3作品はいずれも観客に何かを考えさそうとしていたのだ。
そしてもちろん、模擬検定はブラックボーダーズ検定だけではない。
伊丹西の基礎練士検定、県立伊丹のダンス士検定も同じように行われた。
審査発表と式部先輩の言葉
審査発表は、式部先輩から。
模擬検定での認定級と、それに対して短くはない言葉が添えられた。その言葉は、「これから何を改善すべきか」という道筋と、後輩たちへの期待が含まれていた。式部先輩から送られる愛そのものだ。
「僕が何を中心に見ているかというと、演技が作品に対してどのような機能を果たしているか」
ブラックボーダーズ検定上演作品に対しては、演技的なことを中心に指摘していく。
式部先輩の言葉は、厳しさを含んでいるがわかりやすい。何が良くなくて、なぜ良くなくて、どうすべきか(あるいは自分がどうしているか)という順序で語られる。
このわかりやすさは、OBであるということ以上に、式部先輩の人柄もあるのだろう。その言葉の中に、東京で俳優として戦っている姿も透けて見える。
「(観客に)よく頑張ってるなぁと思われると不味いなぁと思っています。よく頑張ってるなぁやと客に負けてんぞって」
演劇というのは、作品づくりだ。
いかにその作品の中にお客さんを引き込むか。引き込めなければつくり手側が負けている。なるほどと思ったと同時に、全ての演劇部に知っておいて欲しいことかも知れない。
参考までに発表された認定級は次の通り。
基礎練士検定 :伊丹西4級
ブラックボーダーズ検定:ふーみん班3級の中、伊丹西4級、たまご班3級の上
ダンス士検定 :県立伊丹2級
最後に
審査発表が終わったのち、学校ごとに分かれ最後のミーティング。
合宿のまとめと、2週間後の平成演劇教育委員会へ向けてすべきこと。さらにその先のこと。
県立伊丹でのミーティングでは、様々な想いが渦巻いていました。しかし、その想いの方向は一緒。もっと前へ進みたい!
時にはシリアスになるけれど、合宿中のほとんどは楽しい雰囲気が占めていた。元気で楽しんで、それでいて演劇に真剣。
強豪校と言えばいつでも張り詰めて真剣なイメージがあるが、ここはそうではない。
その理由のひとつがチームのみんなをニックネームで呼ぶこと。五ノ井先生も例外ではなくて、みんなから親しみを込めて「ごんちゃん」と呼ばれる。これはひとつの伝統で、県立伊丹のみならず、いまの伊丹西にも息づいている。
この合宿は演劇だけじゃなくて、楽しいこともいっぱいやる。それが五ノ井先生の流儀。
船で淡路島に来ること。夜の花火。海での遊び。もっともっと私の知らない楽しいこともいっぱいやっているのだろう。宿での時間もある。
なんと言っても五ノ井先生の演劇の根幹にあるのは、「面白くないことはやっちゃいけません」という秋浜先生の教え。
いずれにしても、この1年のチームの成長ぶりにはビックリだった。
そして、秋にどんな作品をつくってくるのか。
県大会で両チームの作品が観られることを願いつつ。