県大会を研究する'24

 2024年、支部大会の再編がありちょっぴりリニューアル(?)した県大会。
 淡路支部は東播支部と、但馬支部は西播支部と、但有支部は阪神支部とそれぞれ合同で支部大会が開かれるようになりました。そして、蓋を開けてみると……なんと、県大会にいないのは淡路支部だけ。但馬支部も但有支部も、新たなステージからちゃんと県にやって来ていたのです。

セリフと台本について考えさせられた14本

 セリフとは何なのか?
 台本とは何なのか?

 今大会、観ていて本当に驚いたのは、そのセリフが伝わってこないこと。
 ハッキリと声は届いている。声量もあるし、歯切れも悪くない。発声練習はしっかりしているんだなぁ、とわかる。けど、それは文字が投げかけられているような感覚で、セリフとしては意味がわからない。
 セリフは単に役者が発するだけでは、セリフとならない。

 舞台上でちゃんと相手のセリフや演技を受け止めて、その上でセリフを発せられているかどうか? それがポイントだった気がします。

 案外セリフを聞くということができていないのです。
 発声のみ(もっというと《声》のみ)がフィーチャーされているような印象を受けました。

 何故こんなことを書くのかというと、個人的に半分くらいの作品は、セリフが伝わってこなかったから。聞こえないのではありません。聞こえてはいるのだけど、(こちらが)その意味を理解できない。セリフが理解できないから、物語がよくわからない。

 これは非常に残念なことで、台本がどんなに優れていても、全く意味がないのです。

 上位に選ばれた作品は、どれもちゃんとセリフが伝わる作品でした。
 舞台上で役者同士(ときには役者とスタッフ)がコミュニケーションを取れているかどうかが、セリフが聞こえるか(届くか)どうかよりも重要であることが明確になった大会だった気がします。

上手前を使わないという割り切り

空いた空間を使わないという選択
空いた空間を使わないという選択

 そんな中、高い演技力で舞台を引っ張ったのが、神戸常盤女子の『キャベツはどうした?』でした。“え? 去年、春の全国へ行った『653-0824』より凄くない?”と、そんな感じ。
 ともかく、役者同士のコミュニケーションがちゃんと取れている。つまり、《相手のセリフを聞く》ということがよくできていて、それは劇中「空気を読まない人」として登場するキャベツおばさん(小池さん)ですら、ちゃんと相手の演技を受け取って、空気を読まない(演技をする)。そういう基本的な演技の精度が高いから、台本の面白さがより際立ってくるのです。

 舞台空間はちょっと変わっていて、若干下手寄り。
 舞台真ん中に教室。その教室は客席に対して角度を付けて配置されていました。下手側が前に、上手側が奥に、という風に。教室への出入りは、下手の引き戸から。注目なのは、舞台の上手4分の1ほどはぽっかり空いていること。教室に角度が付いていて、中央前から上手にかけて空間が空いているので、その空間は広い印象を受けます。

 ところが! です。
 役者はその教室(と廊下)のエリアから外には出ないのです。これが本当に素晴らしかった。
 教室の前には広い空間があるのです(演じ手からすると、教室の左側)。観客への演技のアピールもできるので、正面を向いて前に出てきて演技することを、安易にやってしまいがち。
 観客は舞台装置や役者の演技から、その教室のサイズを想像しています。その想像の約束が、役者(の演技)と観客との間で共有されていて心地よいのです。
 考えてみてください。突然、その約束が破られて、「ここに広い空間があるから」と役者が出てきて演技をし始めたら、混乱しませんか?「え? そこは教室の外(場合によっては空中)じゃないの!?」と(この約束を逆手に利用したのが、2024年全国大会最優秀賞の徳島県立城東『その50分』だった気がします)。
 もちろん、絶対に使ってはならないということではないのですが、(約束の外側の空間を)使わないことは演劇の基本だと個人的には思います。

 ひとつずつがとても丁寧。その丁寧さの積み重ねが、良い作品へと昇華しています。
 神戸常盤女子の『キャベツはどうした?』は、2025年7月に香川県で行われる第71回全国高等学校演劇大会へ近畿ブロック代表として出場します。
 「演じる高校生」までとはメンバーも替わるはずなので、新たな舞台がどのような作品となるのか? 楽しみですね。

発想の逆転(?)の舞台設定

舞台上が下手袖。上手袖の奥が舞台という設定。
舞台上が下手袖。上手袖の奥が舞台という設定。

 六甲学院の『下手な舞台が世界を廻す」は、コンクールの制約を逆手に取ったような舞台が印象的。
 高校演劇のコンクールというのは、演劇界では特異なものです。リハーサル時間も充分にないばかりか、限られたほんの僅かな時間で舞台設営までしてしまわねばならないのです(それでも過去にはファーストフード店の2階のセットが登場したことなどもあって、それはそれでビックリたまげた!)。
 じゃあ、自分たちで準備しなくて良いものは? となると、舞台にあるもの(もしくは、舞台そのもの)をそのまま使うこと。
 素舞台であったり、わざと舞台機構を見せる空間というのは、ままあります。

「その手があったか!」

 幕が開いて、思わず感嘆しました。そこには、舞台上を「下手袖」にした舞台があったのです。
 上手の袖幕を下手の袖幕に見立てる。上手の袖幕から少し内側には、上手(この物語の舞台上)を向いたSSとスピーカーが設置されています。さらにホリゾント幕は跳ねられ、平台などが置かれていることで、ここが舞台袖であることが演出されています。舞台にあるものを使うという最小限の努力で、そこが「舞台上」から「下手袖」に早変わりしていたのです。

 さらに面白いのは、舞台袖はふだん表から見えないところだということです。

 この作品では、観客から見えないところで舞台発表が行われており(という設定)、本来は見えない袖が物語の舞台となっています。だから、(物語の中の舞台上などで)予期せぬアクシデントが起こったとき、(役者は)見えない舞台上や客席の様子を覗き込みます。観客はその見えない部分を“何が起こってるのか?”と想像して楽しむのです。
 構造的にはあの『アルプススタンドのはしの方』と同じなのだけど、馴染みのある舞台が舞台というだけあって、演じる側がやりやすいという利点はあるかもしれないですね。

みんなが注目した作品は……?

正攻法でつくる、丁寧なお芝居。
正攻法でつくる、丁寧なお芝居。

 昨年度、県大会・近畿大会で最優秀賞に輝き、見事今年夏の全国大会へ推薦された東播工業の『廻る』。
 その作者で顧問であったY先生は、今年度舞子へ転任されました。その舞子が、いま県下で最も層の厚い神戸支部の代表として県大会へ上がってきました。ビックリです。もちろん、Y先生書き下ろしの作品、『5時になるまで。(もしくは宇宙が終わるまで。)』なのです。

 いつも通り正攻法で、とても丁寧な作品。演じ手たちも丁寧にやっています。
 舞台装置も簡素でありながら、(学校の)有り物だけで充分舞台が成立することを教えてくれる。豪華なセットでなくとも。

 ただし、まだまだ伸びしろも感じたのも事実です。この作品にはもっともっと可能性がある。言い換えれば、部員たちにも可能性がある(ちなみに、部員たちに可能性があるのは、どの演劇部も同じです。そこをうまく伸ばしてくれる良い出会いがあることを願わずにはいられません)。

 良い作品をつくる演劇部がひしめく神戸支部の中で、これからが注目の演劇部となったようです。

最優秀賞に届かないのか……。

顔を見せない無個性が、逆に個性を放っていた。
顔を見せない無個性が、逆に個性を放っていた。

 そんな中、もう一つの注目は、もちろん東播工業です。
 (創設以来)初めてY先生のいないコンクール。先輩たちも部員たちもそれぞれ思いを抱きながら、生徒創作の『Mov1e』を仕上げてきました!

「これは発明だ!」

 そう感じたのは、全身黒タイツの登場人物です。あるときは同級生、あるときは後輩として登場します。つまり、モブキャラクターなのです。
 それの何が凄いって、(当たり前なのですが)表情が見えないこと。素顔が見えないということが、キャラクターとして記号化される作用をもたらしています。それなのに、顔が見えないことが、却って「こういうやついるよな」と、身近に感じるのです。現実味があるのです。これは新しい表現じゃないか! そう思います。

 そして、この作品には「凄み」がありました。
 台本の荒さを補う以上の想いが、それぞれから零れていた気がします。面白くて観客を笑わせるだけでなく、徐々にその凄みに引き込んでいきます。
 幕が下りた瞬間、観客席からは悲鳴に近い声が上がり、ざわめいていました。これは、今大会でこの作品にしかなかった現象です。
 暗転を使わずにシームレスに舞台転換することも含め、良い作品にしようという彼らの創意工夫が溢れている。ノンストップで駆け抜けたことが、より「凄み」に引き込んだ気がします。

 間違いなく『廻る』で全国大会へ行ったことが(そして、多くの作品と触れ合ったことが)、彼らの経験となり生まれた作品なのだと思います。
 2年前の生徒創作『(戯曲)ペルソナ』とも違った作品。少なくとも私の中では今回の最優秀賞。
 来年以降も、東播工業に力強い作品をつくって欲しい。そう願わずにはいられないのです。

兵庫県の創作脚本集をつくっています

GIKYOKU! Vol.2

 私、ユウの自主企画として『兵庫県高校演劇創作脚本集 GIKYOKU!』を編纂しています。

 多くの現役生や先生方のご協力もあり、第1号は2023年夏、第2号は2024年秋に発行しました。

 兵庫県で毎年無数に生み出される創作劇、それらの中には一度の上演で終わらせてしまうにはあまりに惜しい作品がいくつもあります。少しでもすくい取って、多くの人に読んでもらったり、稽古で使ってもらったり、上演してもらったりしようというプロジェクトです。

 戯曲というと取っつきにくいイメージがあるかもしれませんが、高校生の紡ぐ物語として捉えていただければ、読み物としても楽しんでいただけると思います。
 是非とも兵庫県の高校演劇を感じてもらえれば幸いです。

 現在、3号の発行に向けて作業を進めています。
 もし、「良い作品を知ってる!」という方がいらっしゃいましたら、お知らせいただけると嬉しいです。兵庫県の高校演劇のために書かれた作品なら、コンクール以外の作品でもOKです。

 『GIKYOKU!』はこちらのサイトにて通販対応しています。
(お金のないプロジェクトなので、応援してくださる方もお求めいただけると、とってもとっても嬉しいです!)

※掲載写真の無断転載はおやめください。
※写真掲載については各演劇部へ確認を取っておりますが、問題があるようでしたら「CONTACT」より私ユウまでご連絡ください。