淡路支部の高校演劇を支えた劇団ともしび会
先日、洲高新聞のバックナンバーを見る機会を得た。
目を引いたのは洲本高校演劇部の公演記事、見出しには『ミュージカル「11匹のネコ」熱演の演劇部自主公演』(昭和61年7月17日発行号)とあった。これは井上ひさしの戯曲で、多人数の舞台である上に、ミュージカルに挑んでいることに驚いてしまった。
そこで思い出したのが、K先生(通称みーさん)の存在だった。
洲本高校演劇部は、1984年にK先生の創作台本『驟雨(そうばい)』で、県大会優秀賞に輝いている。
残念なことにK先生は早くに亡くなられ、私は直接お会いしたことはない。
洲本高校にはK先生やF先生が、M先生は洲本高校→志知高校→三原高校→津名高校、T先生は洲本実業高校に在任していた。時期は違っていたり被っていたりするが、皆、劇団ともしび会に所属していた。先生であると同時に演劇人であった。
これらの先生方が、淡路支部の高校演劇を育んだことは間違いない。
また、淡路支部合同発表会も長らく劇団ともしび会のスタッフの手を借りて運営されている。
忘れてはならないのは内山温之さんの存在で、M先生が新任だった頃には既に淡路支部合同発表会の審査員を務めていたとのことだから、20年は高校演劇の審査をしていたのだろう。内山さんは1950年の劇団ともしび会の立ち上げから50年以上演劇活動を淡路島で行い、2003年まで代表であり、2002年まで淡路支部の審査員だった。
残念なことに、劇団ともしび会は2003年以降、ほぼ活動停止中だ。
T先生もM先生も退職され、劇団ともしび会の血を引いた先生方も、淡路支部からはいなくなってしまった。
それと同時に、“演劇の基礎”が淡路支部から失われた感は否めない。
明石海峡大橋が架かり、離島ではなくなったとは言え、高校生にとって神戸・大阪が遠いことには変わりがない。島の中で演劇に触れられる機会は、皆無だ。
演劇とは総合芸術である。
役者がいて演出があり、舞台監督がいて舞台装置、美術、照明、音響などがある。
すべては観客へと向けた表現だ。
そういったことを淡路支部の高校生たちにどう感じてもらうか?というのは、ひとつの問題であり、課題なのだろう。
その意味では、劇団ともしび会があったということは、淡路支部の高校演劇にとって大きなことだったと言える。
記事一覧で表示される写真は、劇団ともしび会公演No.78『父と暮らせば』のパンフレットより引用した舞台装置の模型写真だ。劇団ともしび会では、舞台装置をつくる前に精巧な模型をつくって確認していた。これはプロの現場と同じである。