県大会を研究する'18
ホリゾント幕を使わないということ
2018年の県大会を振り返っていて、ふと気がついた。
印象に残った作品の多くがホリゾント幕を使っていない。大黒幕で舞台を引き締めた。
ホリゾント幕というのは難しい。
ときおり何色にも染めずに使うのを見かけるのだけど、これは論外だと思う。ホリゾント幕はどんなときも染めなくてはいけないと感じてる。染まっていないホリゾント幕はみすぼらしいのだ。
しかしその反面、効果的に使えばこれほど美しい幕もない。夕暮れ時や夜空と言った自然現象から、心象風景まで。
この尼崎小田『それはきっと』のような夕方のシーンは、ホリゾント幕が美しい。
しかし、日常的なシーンでは考えあぐねてしまうことも少なくない。
しっかりと稽古の段階で演出家と照明プランを練り上げているとそんなこともないのだが、いざ劇場入りしてその場でホリゾント幕の色を決めようとすると、なかなか決まらない。
これは、県立長田『夢ぐらい語らせてください』のワンシーン。
1枚目は確か室内のシーン。なぜ薄紫に染めたのだろうか?白系は成立しづらい(少し違和感がある)。
このシーンだけを切り取ると大黒幕を閉めてもよかったと思うが、2枚目のラストシーンでは赤のホリゾント幕が効果的に効いている。
こちらは少し変化球かもしれない。県立明石の『努努(ゆめゆめ)夢見るな』は、ホリゾント幕を使わなくても面白味に間違いはなかった作品だ。
1枚目は敢えてホリゾント幕を染めないということを選んでいるのだろう。「敢えて」だとわかっていても、ハレーションで浮かび上がるホリゾント幕はやっぱり気になる。
2枚目はロアーホリゾントライトのみを使って白く染めたホリゾント幕。ホリゾント幕を白に染めるというのは普通はやらないことなのだが、男の心象風景として面白い効果を生んでいる。他にも効果的な使い方を随所でしていたので、ホリゾント幕を使いたい思いが強かったのだろう。
ホリゾント幕を使うということは(原則)全てのシーンで使うということになり、ワンポイント的に使いづらいのも難しいところだ。
解決策のひとつは、思い切ってホリゾント幕を使わないこと。
これはきっとプロの劇団も迷うところであって、小劇場系の演劇ではホリゾント幕を使わないことも多いように思う。
ここからは、ホリゾント幕を使わなかった印象的な作品たちを。
神戸常盤女子『ハレノヒ』の文化祭のシーン。
ここはホリゾント幕を使っても映えたと思うが、代わりに後ろからのライトを効果的に使っている。目潰しとバックサスだ。
こっちは県立姫路工業『これがワタシら』。
神戸常盤女子と同様にバックサスを使った例。光の強いパーライトなどでバックサスをうまく使うと、それはホリゾント幕にも似た効果を引き出すことができる。
両校ともバックサスの効果を増すために、スモークを焚いているのも見逃せない。
スモークを焚かなくても空気中の不純物に反射してパーライトの光は線として見えるのだけど、スモークを焚くことでよりその光の線が明確になる。
日常芝居においては、ホリゾント幕を使わないことによる弱点はないように思う。
県立西宮今津『明日、また』での1枚目は日常のシーンだが、大黒幕でも不自然さはない。
2枚目はサスのシーン。
ホリゾント幕を使わないことで逆にサスが引き立っている。ホリゾント幕を使っていると、ハレーションでどうしてもホリゾント幕がぼんやりと浮き立ってしまうからだ。
(ちなみにこれはソースフォーで意図的に真四角なサスにしている)
ホリゾント幕を使わないからといって、シーンに変化をつけられないわけじゃない。
制約のいろいろある大会でも、地明かりは生とブルーの2種仕込まれているのが普通だし、フロントサイドにはアンバー系の光も仕込まれている。それらをどう組み合わせるか、そして、照明プランを打ち合わせで劇場スタッフに伝えることで表現の幅は大いに広がる。
御影『インザハウス』の照明センスはずば抜けていた。というか、プロの小劇場演劇のよう。
ここに上げた3シーンだけでも、照明の多様性が見て取れる。
ホリゾント幕を使わなくてもこんなに変化をつけられる。
ホリゾント幕を使う? 使わない?
結局のところ、それは自分たちが“何をどう表現したいか?”による。
どちらが正解というのはない。
けれども今回は、「使わない選択肢もあるんだよ」という可能性を提言しておきたい。
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