県大会を研究する'16
空間を立ち上げる
県立東播磨『アルプススタンドのはしの方』の場合
まずは、写真として舞台全景を収めていた東播磨の舞台から。
見てもらうと一目瞭然なのだけど、舞台に対して袖幕をかなりせめている。それだけの広さは必要ないということ。
舞台装置は簡素な感じ。平台を組んで、甲子園のアルプススタンドを再現している。この平台の上が演技エリアとなるわけだけど、大黒幕を袖幕よりも閉めることで、ホリゾント幕が見えている範囲がメインの演技エリアであることが直感的にわかる。
雲雀丘『光が届くまで』の場合
舞台上に敷物があることで、この作品の使う空間がかなり明示的になっている。
敷物のサイズがこの作品の舞台空間であり、イコール演技エリアだ。
さらには、無造作に置かれた学校の机と椅子が、そこが「学校」だということを教えてくれる。お芝居の中でここが空き教室であることが明かされるのだが、積み重ねて置かれている段ボール(劇中では使わない)などが、普段物置として使われているのだろう、と想像させる。
県立明石南『オクラホマで逢いたい』の場合
すこし寄り気味の写真なので解りづらいが、一つ目の東播磨の写真と比べてもらうと、やはり袖幕をせめて空間を狭くしていることがわかる。そして、敷物がある範囲が演技エリア(おそらくこの部屋のサイズ)だ。
センターにある投票箱。奥側やや下手寄りにある投票用紙の筆記場所、上手側には立会人の座る席。
幕開きには投票の様子が演じられ、ここが生徒会長模擬選挙の投票所であることがすぐにわかる。
神戸常盤『女子高夜想曲』の場合
この作品もやはり袖幕をせめて空間を狭くしている。
これまでの作品のように演技エリアは明示的に示されてはいないが、下手の教室の扉、上手のロッカーやゴミ箱の位置で演技エリアが区切られていることがわかる。つまり、写真に写っている袖幕を閉めた位置までが演技エリア。その外側は使わない。
雲雀丘に比べると簡素な舞台装置だが、一目でそこが学校の教室だとわかるのは秀逸。
県立西宮今津『ベティ=ジェーン』の場合
この作品でもやはり袖幕をせめている。
下手側に平台で組んだ居間があるおかげで、その外側(それよりも下手側)を使わないことがハッキリとわかる。上手の端は流し台だ。
土間が若干広いように感じるが、これは作品を演じる為のデフォルメであって、作中で違和感は覚えない。
これもまた、場所がどこかの家であることが、一目でわかる。
空間を立ち上げる必要性
舞台空間をなぜ立ち上げるか?
- 観客を作品に引き込む
- 観客にどこを見たらいいかを明示する
(演技エリアがハッキリすることで、作品が断然見やすくなる) - この場所がどこなのか?を明示する
- 演技エリアをハッキリさせる
上のような理由が考えられる。
場所がどこか?というのが一目でわかる、というのは、観客に対する利点だけではない。役者もその場所がどこなのか認識しやすくなり、演技のリアリティが増すのだ(抽象的な空間や無対称での演技は難しい=観客に伝えるためには演技力が必要)。
また、演技エリアをハッキリさせておけば、それも観客の見やすさにとどまらず、役者の演じやすさにも繋がる。無闇に舞台を広く使わないようになるからだ。
舞台転換に対するアイデア
県立長田『Dear Future』の箱の自在性
友達と行ったファミリーレストラン。
演技エリアは、センターの席に限定される。
予備校の学習風景。
高校生としての不安を明示する為に使われた印象的なシーン。
病室の一角。
箱を組むことでベッドと椅子を表現している。
長田が巧みだったのは、箱を使うことで、部室、ファミレス、予備校、病室、劇中劇などといった場所を、変幻自在に表現したことだ。
暗転は一切使わず、転換では童謡を唄うというルールを明示し、唄いながら楽しそうに場面転換をしていった。
照明の作用
大会中、もっとも美しかった県立西宮今津『ベティ=ジェーン』
幕開き。何の変哲もない昼間の明かり。
雨の日の明かり。
薄暗さを弱めのSSで軽くフォローしている(役者の顔や、流し台が若干赤いのがわかるだろう)。
音と光で巧みに雷を表現する。
これは舞台奥、ホリゾント幕の手前の上手寄りに、雷として使うライトを吊っている。
照明、音響、演技が相互作用をなし、不気味な感じが増していく。
これは劇中でもっとも暗いシーン。照明をお芝居として成り立つぎりぎりまで暗くして、ランプの明かりを際立たせている。役者をフォローしているのはSSの明かり。
この暗闇の中、ベティ=ジェーンが姿を現す。
夕方。
上手側のすだれの奥に、人物がいるのがわかるだろうか?
奥側からの明かりのみにして、すだれの向こう側の演技を見せている(前からの明かりを入れると、すだれは透けなくなる)。
このシーンは実際の気象というよりも、二人の心象を表しているのではないだろうか。
少し不穏な感じがする。
舞台装置が具体的だからといって、それ以外の場所を表せないわけではない。
サスを落とすことで、二人が家の中ではなく、別の場所にいることを明示している。
『アルプススタンドのはしの方』は何が凄いか?
今大会で台風の眼となったのは、東播磨の『アルプススタンドのはしの方』。
とはいえ、この写真を見ただけでは何が凄いのかわからないだろう。
一見、ここで紹介した他の作品の方が、舞台の立ち上げが凄いような感じがする。つまり、この作品の仕掛けは写真だけでは説明できない。
演劇の最大の制約は、舞台上で生身の人間が演じなければならないこと。
だから場所を変えることも、時間経過を表現することも難しい。そのひとつの解決法は、場所を変えないこと。そして、時間経過を描かないこと。
この作品は、そんな基本に忠実に演じられたお芝居なのだ。
暗転も明転もなし。照明に関しては、最初から最後まで同じ明かり。60分間ノンストップで演じきる。
空間の立ち上げに、重要な役割を果たしているのが音響だ。
幕開きから効果的な音が入ることで、そこが野球場だということがすぐにわかる。そしてどうやら甲子園の初戦、そのアルプススタンドのはしの方であることが段々わかってくるのは台本の妙。
音響の仕事は凄く細かい。ブラスバンドの演奏、ウグイス嬢のアナウンス、金属バットの音、歓声などが、ラストの一カ所を除いて60分流れ続けている。そのこだわりは、作品感のディテールとしてなくてはならないものに。
台本も巧みに計算されていて、観客を引き込む仕掛け、観客に対する問いかけなどが仕組まれている。もっともうまいのは、いつの間にか熱気を帯びてきて、それに観客を巻き込むところだ。おそらく野球がわからなくても、手に汗握るのではないだろうか。演技と音響、そして客席が呼応していく一瞬。
その台本は、2017年夏頃に発行される予定の『季刊 高校演劇 宮城大会特集号』へ掲載されるはずだ。是非とも手にとって読んでみて欲しい。
多くの演劇部に見本にして欲しい作品だ。
今回、説明の為に大きめの写真を掲載致しました。問題ある場合は、「CONTACT」より私ユウまでご連絡ください。