近畿大会を研究する'16

京都・立命館『虹の彼方に』の話

こんな感じの舞台でした。

 近畿大会もさまざまなお芝居があったけど、立命館の『虹の彼方に』に思うことあり。

 自分たちのやりたいことをやって、楽しんで楽しませて、そして観客の心に何かを残せば、それはそれで良いお芝居だと個人的には。その為のテンションとパンチ力がちゃんとあって、忘れていたことを思い出させる。台風(というより竜巻?)のように強引に巻き込んで、楽しませるだけのパワーが高校生にはある。

 幕開きからグッと引き込まれて、60分間楽しませてくれた。

 それはやっぱり、空間の立ち上げがうまくいっていることも大きい。
 ドン帳が開くと、丁寧につくり込まれた舞台装置が姿を現す。堤防の上(ちょうどビールケースの上あたり)で女子大生がトランペットで『Over the Rainbow』を吹いている。その生音でお芝居がはじまった!

 小学生の男の子は、ここに秘密基地をつくったり、ドローンを飛ばしたり。家や学校が嫌になった女子高生は、ソファーに座ってホームレスのおばさんとおしゃべりをする。このソファーと下手端の冷蔵庫(どこから持ってきたの?って思うくらい旧型で錆び付いている)が野ざらしであるおかげで、リアルな話ではなく半ばファンタジーの話なんだよってさりげなく教えてくれる。女子大生はトランペットを吹きに来て、その中学生の妹がお姉ちゃんを心配してここで本を読む。
 それぞれにそれぞれの話。それらがぐちゃぐちゃにくっついて、いろんなシーンがシームレスに繋がっていく。

 舞台空間の外、下手の花道にはずーっと謎の女がいて、彼女が出てくると音楽とともに楽しく転換する。暗転はしない。反対側の上手にはパーカッションと女子高生たちがいて、彼女たちはお芝居に絡みながら、転換の音楽を奏でる。言葉ではまったく追いつかない。観ないとわからない世界の話。
 河原には平穏な日々は続かない。嵐が来てめちゃくちゃになって、それをみんなで元通りに戻したりもする。

 ドタバタ楽しいだけかと言えば、そうじゃない。それぞれにそれぞれの話。そんなことが垣間見える。それが見事にラストへ繋がっていって、最後はなんだか淋しい気分にさせられる。

 “いまという時間は永遠には続かない。いずれいろんなことが変わっていってしまう。”

 河原というのは単に道具であって、本当に描きたいのは心の中身。それも自分たちに近い高校生の、かもしれない。その不安と儚さを描くためのシチュエーション。

 こんなパワーのあるお芝居を観たら、淡路島の高校生は何を思うだろうか?
(真似しようったって、そんな簡単にはできない、そんなレベルの──。だけど、高校生がこういうことを出来ること、すっかり忘れていたのです。)